競馬

天皇賞・エンペラーズカップの歴史|春・秋の過去レースを紹介

天皇賞は年に2回開催されます。春は京都競馬場で秋は東京競馬場で行われます。 天皇賞のルーツをたどると、1905年に横浜競馬場で創設されたエンペラーズカップまでさかのぼることができます。 このレースが誕生した背景には外交問題が強く影響している。 エンペラーズカップはのちに【帝室御賞典】の名称で定着し、明治末期から1937年まで日本各地で年に10回行われていた。 エンペラーズカップ創設まで 明治政府の重要な外交問題は不平等条約の改正でした。 条約改正交渉を円滑に進めたい明治政府は、鹿鳴館に象徴されるような西洋文化を積極的に取り入れた。 競馬もその一つでした。 政府や明治天皇は、明治初期から西洋式の競馬を行うなど、競馬場は重要な政治の舞台でした。 中でも横浜競馬場は、幕末以来、外国人が設立・運営し競馬会の会頭も歴代のイギリス公使が務めていた。 明治天皇は条約改正を実現するために、政治家を伴い頻繁に横浜競馬場へ赴かれた。 明治30年代になるとイギリスとの条約改正を皮切りに、不平等条約の改正が実現した。 イギリスとの間には日英同盟も結ばれた。 こうしたイギリスとの外交交渉で大きな役割を担ったのが、イギリス公使のクロード・マクドナルドです。 マクドナルドは当初公使であったが、1905年に全権大使へ昇任した。 マクドナルドと個人的な信頼関係を結んでいた明治天皇は昇任にあたり、マクドナルドへ【菊花御紋付銀製花盛器】を贈呈した。 当時、マクドナルドは横浜競馬場の会頭も兼任しており、明治天皇から贈られた盃を賞品として、1905年5月6日にエンペラーズカップを創設した。 以来、横浜競馬場では毎年このレースに明治天皇から賞品が下賜されるようになった。 これがのちに日本語で【帝室御賞典】などと訳されるとうになりJRAでは【天皇賞】の前身としている。 帝室御賞典の拡大と統一 明治天皇は1899年まで盛んに競馬場へ巡行されたが、同年に条約改正が実現すると、以降は競馬場へ巡行されなくなり、代わりに皇族や親王を名代として派遣されるようになった。 明治天皇から賞品を下賜されて行う帝室御賞典はすぐに全国の競馬場へ広がった。 横浜・東京・阪神へも年2回の下賜が認められ、馬産地の福島・札幌・函館・小倉へも年1回の下賜が認められた。 昭和に入り戦時体制化が進むと、各地の競馬倶楽部は1936年日本競馬会に統合された。 日本競馬会は1937年各地で年10回開催してた帝室御賞典を春に阪神競馬場(旧、鳴尾競馬場)、秋に東京競馬場で年2回行われることになった。 年2回に改められてから初の競走は1937年秋に東京競馬場で行われた帝室御賞典でJRAはこのレースを天皇賞の第1回としています。 終戦後に天皇賞の名称へ 競馬は1946年秋に再開された。 帝室御賞典は1947年春から再開を決め、日本競馬会は皇室へ賞品の下賜を打診したがこの時点でGHQによる皇室への処分がきまっていなかったため下賜は時期尚早として見送られた。 日本競馬会は競走名を【平和賞】に変更して施行した。 1947年秋に予定していた【第2回平和賞】の前日に皇室から賞品の下賜が再開されることになり、名称を【天皇賞】に改めて施行された。 その後、天皇賞の施行主体も日本競馬会から国営競馬を経て1954年から日本中央競馬会が引き継いだ。 天皇賞(秋)歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師第1回1937年12月3日東京芝2600mハツピーマイト牡32:48 1/5新井朋次郎秋山辰治第3回1938年11月3日東京芝3200mヒサトモ牝43:35 2/5中島時一第5回1939年11月3日東京芝3200mテツモン牡43:24 4/5保田隆芳尾形景造第7回1940年11月17日東京芝3200mロツキーモアー牡43:27 1/5小西喜蔵田中和一郎第9回1941年11月2日東京芝3200mエステイツ牡43:24 3/5田中康三尾形景造第11回1942年11月1日東京芝3200mニパトア牝43:34 4/5新屋幸吉清水茂次第13回1943年11月7日東京芝3200mクリヒカリ牡43:26 3/5小西喜蔵田中和一郎第16回1947年10月17日東京芝3200mトヨウメ牡43:44 2/5小林善衛鈴木信太郎第18回1948年11月23日東京芝3200mカツフジ牡53:30 0/5近藤武夫伊藤勝吉第20回1949年11月3日東京芝3200mニユーフオード牡43:25 1/5保田隆芳小川佐助第22回1950年11月3日東京芝3200mヤシマドオター牝43:28 0/5保田隆芳尾形藤吉第24回1951年11月11日東京芝3200mハタカゼ牡43:24 0/5保田隆芳尾形藤吉第26回1952年11月16日東京芝3200mトラツクオー牡43:24 4/5小林稔久保田金造第28回1953年11月15日東京芝3200mクインナルビー牝43:23